塩飽勤番所 (しわくきんばんしょ) (国の史跡)
所在地 香川県丸亀市本島町81 2020.2.4
塩飽勤番所 (しわくきんばんしょ) (国の史跡)
所在地 香川県丸亀市本島町81 2020.2.4
本島待合所(中にレンタサイクルあり)
長屋門
主屋
主屋内部
塩飽勤番所跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 40m四方の敷地で三方に土塀を巡らし、正面に長屋門、内部に主屋、朱印蔵が保存されている。
主屋内は200円で見学出来、水軍ゆかりの刀などがあり、秀吉・家康・秀忠などの御朱印状が展示されている(9~16時、月曜休館)。
【案内】 本島汽船(株)の フエリーが丸亀港から本島(ほんじま)間に運行されている。
丸亀港の駐車場は狭く混んでいる場合、国道193号線を挟んだ市営有料駐車場が利用できる[マップコード77 740 848*52]。国道を潜って待合所へ行ける。
本島汽船待合所内にレンタサイクル(500円)があり、自転車で塩飽勤番所と笠島城へ向かう。
本島中学校グランド西側に年寄宮本家の墓があり(地図)、戻って東に行くと間もなく「塩飽勤番所」に着く。
昭和四十五年(1970年)7月22日、年寄の墓と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 塩飽諸島は、古くから塩飽水軍の根拠地として全国に知られ繁栄していた。
豊臣秀吉以降、時の権力者は塩飽の船方650人に塩飽全島1250石の領有を認める朱印状を与え、代わりに命令によって海上輸送等の義務を負う御用船方として、塩飽水軍の力を利用した。
この船方衆は後に人名(にんみょう)と呼ばれ、これらを束ねたのが年寄で、4人の年寄が自宅で朱印状を保管し、政務を行った。
しかし、寛政の島地改革で寛政十年(1798年)勤番所が新築され、人名の中から入札(選挙)で選ばれた3人の年寄が政務を執るようになった。
現在の建物は万延元年(1860年)に改築され、明治以降は村役場、丸亀市役所本島支所として昭和四十七年(1972年)まで使用されていた。