土丸城 (つちまるじょう)
最寄地 大阪府泉佐野市土丸990−4 2018.10.21
土丸城 (つちまるじょう)
最寄地 大阪府泉佐野市土丸990−4 2018.10.21
登城ルート
県道62号線「新前川橋」北の登り口
100m先の標識
5号目鉄塔より土山城を望む
西の郭(奥に主郭)
主郭の神社・忠烈碑
北東側切岸
土丸城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 泉佐野市の標高287mの山頂に築かれ、主郭には神社が祀られ東西に夫々曲輪が残っている。
雨山城の南西尾根上に位置しており、雨山城に比べ訪れる人も少なく鬱蒼としている。
雨山城経由で下ったら、同じ阪和道の下に出たが、駐車した地点まで戻るのに府道62号線経由で2㎞程迂回させられ、疲労と時間の無駄となった。
【案内】 県道62号線「新前川橋」北の表記番地より向かいの阪和自動車道高架下の細い道を100m行くと、登り口に小さな「土丸城跡→」の標識がある(地図)。駐車スペースは見当たらなかったが、たまたま日曜の休みで表記番地のシャッターの前に駐車出来た[マップコード35 718 847*60] 。駐車など考えると、雨山城より南西方向に歩いた方が良いと思う。
すぐ急なジグザグの登りとなり、木道が設けられている。鉄塔を過ぎ中腹から先は細い山道となり上り詰めると、主郭に神社や忠烈碑が建てられ、東西に一段下がって夫々曲輪がある。
平成二十五年(2013年)、「日根荘遺跡」に土丸・雨山城跡として国の史跡に追加指定された(寺院等16ヶ所)。
【歴史】 築城年代は定かではないが、南北朝時代に日根野氏によって築かれたと云われる。
南北朝時代の正平二年(1347年)、北朝方の日根野盛治が築いて籠もったが、南朝方の雨山城と対峙した。
正平七年(1352年)橋本正高らに攻められ落城し、その後は南朝方の橋本正高らが雨山城と共に籠もっていたという。
その後橋本正高は、自らの勢力を拡大していったが、足利義満の軍の攻撃を受けて落城し、更に、正高自身も天授六年(1380年)高名里で戦死したと伝えられている。