来島城 (くるしまじょう)
最寄地 愛媛県今治市波止浜4丁目1−2 2014.5.15 2020.2.5
来島城 (くるしまじょう)
最寄地 愛媛県今治市波止浜4丁目1−2 2014.5.15 2020.2.5
登城ルート
来島遠景
心月庵
心月庵西の出丸
3の丸石垣・城趾碑
村上神社
3ノ丸より2ノ丸方向を見る
2の丸
本丸・標識・鉄塔
来島城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 周囲約850mの来島全土を水軍要塞化した城で、南北約180m・東西約40mに広がった連郭式の縄張りとなっている。
最北部の鉄塔が建っているところに本丸があり、二の丸・三の丸が南に続いている。きれいに草が刈られ見栄えした。
段郭の石垣や矢竹、古井戸などが残っている。本丸直下の島中央部に来島氏の居城があったが、現在村上神社が祀られている。
また島の南東には出丸があり、島周囲の岩礁にはかつての桟橋柱跡が多く残っている。
【案内】 「波止浜(はしはま)観光休憩所」(表記番地)前に駐車出来、定期渡船が波止浜-来島―小島―馬島間で運行されている(往復320円)。
案内アナウンスは無いので、時刻になったら桟橋で待ち、無人でも一人でも出航し、来島へは5分で到着できる(実は待合所で待っていたら置いてけぼりを食ってしまった)。
島内は歩いて巡れ、1時間もあれば十分に見学できる。
入口(地図)より、石段を登って右に行くと、段郭の石垣や堀跡がありその先に、居館跡の心月庵がある。その西に登ると出丸(水道施設)がある。
戻って石段の左に3の丸の石垣があり、城趾碑が建てられている。その上段に村上神社が祀られ、南から北へ向けて3ノ丸、2の丸、本丸がある。
県道166号線のガソリンスタンド(波方町大浦乙463−4)の裏山に室町時代、城郭のため亡くなった人々の宝篋(ほうきょう)印塔や五輪塔の墓がある(一部長泉寺・波方町波方1625−12に移されている)。
【歴史】 築城は十五世紀中頃とみられ、村上義顕の三男吉房が来島に分家した際に築いた。
吉房子孫の来島村上氏(久留島氏・来島氏)は、6代約160年にわたって来島城を本拠地とした。(戦時の防衛拠点としての居城であり、平時の居館は対岸の波方浦に存在した)。
天正十年(1582年)、来島氏は河野氏から織田信長側についたため、毛利氏および河野氏による攻撃を受け、村上(来島)通総(みちふさ)は備中国にあった羽柴秀吉の下に敗走した。
来島氏の来島復帰は本能寺の変後の天正十二年(1584年)で、秀吉と毛利氏の和睦の結果である。
その後、四国征伐に通総が先鋒として伊予を攻め、通総は秀吉から風早郡一万四千石を与えられた。
関ヶ原の戦いの後、西軍に属した来島長親は所領を没収された。後に復帰し、慶長六年(1601年)に来島長親(後、改名し康親)は豊後国森藩角牟礼城に転封となった。