法光寺城 (ほうこうじじょう) (国の史跡)
最寄地 兵庫県丹波篠山市西八上349−1 2018.8.8 2019.9.21
法光寺城 (ほうこうじじょう) (国の史跡)
最寄地 兵庫県丹波篠山市西八上349−1 2018.8.8 2019.9.21
登城ルート
神社奥から直登
北郭南の段
中間1の郭の切岸
主郭・土塁
主郭南側の切岸
法光寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 八上城の西向かいの山頂に築かれている。鬱蒼としており、猛暑で直登はあきらめた。
気候も良くなり2度目の挑戦を行い、拝殿先の石垣から南南東へ直登してみた。尾根のフエンスに沿って、北郭、中間に2つの郭、主郭が等間隔に築かれ、夫々に2、3段の段郭が設けられ、切岸が見られた。主郭北側に片堀切があるが、他に堀切は特に見られなかった。
【案内】 国道372号線にに面した「西八上公民館」に駐車出来、反対側の稲荷神社(表記番地)の鳥居横に説明板が建てられている[マップコード155 824 256*16](地図)。
登り道はなく、拝殿先の石垣から斜め左に直登した。
比高40m付近の中腹から堀道があり、北郭の南に出、その付近から南に尾根に沿ってフエンスがあり、中間の2つの郭を経て600m程南下すると最高所に主郭がある(延々と歩く)。
平成十七年(2005年)3月2日、国の史跡に指定された。
【歴史】 天文年間(1532~55年)頃、八上城主波多野氏により築城された。
永禄二年(1559年)摂津芥川山城主・三好長慶の軍が八上城を攻めた際、法光寺城が敵将内藤宗勝の手に、一時渡ったという記録がある。
天正六年(1578年)信長の命を受けた明智光秀、丹羽長秀、滝川一益の軍に攻撃され籠城戦となった。
光秀は八上城の周囲を堀と柵で囲い、兵糧攻めを行った。籠城者は初め草木の葉を食べ、次に牛馬を食べ尽くし、城から出てきた者を光秀軍が悉く切り捨てたと記録されている。
翌年六月、城内で裏切りがあり、波多野秀治ら3兄弟が捕えられ落城した。