小牟礼城 (こむれじょう)
最寄地 大分県豊後大野市朝地町市万田576 2019.5.7
小牟礼城 (こむれじょう)
最寄地 大分県豊後大野市朝地町市万田576 2019.5.7
登城ルート
登り口・説明板
説明板
下段の郭
中段の郭
主郭切岸
主郭・神社
小牟礼城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 小賀川が蛇行する地点に突き出た標高180mの山頂に築かれ、東側の支流に挟まれた天然の要害となっている。
主郭に神社、祠が祀られ、切岸の南側に2段の郭が見られる。
【案内】 国道57号線の表記番地南より細い道に入ると、堀切があり、その先の神社に通じる参道入口に説明板が建てられている[マップコード237 312 888*85]。入口付近に駐車できる。
【歴史】 大友氏初代能直の6男時景(景直)は一万田に居館を置き一万田氏を称し、小牟礼城・鳥屋城を築いたと云われる。
天正十四年(1586年)豊薩戦争の際、一万田鑑実入道宗慶は島津の軍勢に攻められ、降伏した。
島津勢の撤退後、島津氏に内通した罪で大友宗麟の命により、鎮実、叔父の鑑之と従弟の統政の3名は切腹した。