白鹿城 (しらがじょう) (白髪城) (尼子十旗)
最寄地 島根県松江市法吉町258 2017.5.6
白鹿城 (しらがじょう) (白髪城) (尼子十旗)
最寄地 島根県松江市法吉町258 2017.5.6
登城ルート(緑線は車道)
西ノ谷登り口
堀切(左へ小白鹿城)
小白鹿城
本丸、一の床間の虎口・堀切
本丸跡
一の床跡・祠
白鹿城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 松江城の北方約3㎞の標高150mの白鹿山頂上に「一の床」が築かれている。北、南西、南東に伸びる尾根上に郭を配置している。
堀切、大井戸、本丸、小白鹿城、一の床など見どころは多い。北約1kmに真山城があり併せて見学するのがよい。
【案内】 常福寺(表記番地)前の道を北に約350m行くと左の南東麓に白鹿谷登り口があり[マップコード163 592 245*64](地図)、説明板が建てられている(ここから比高110m)。駐車は困難。
さらに1.2km行った北西麓に西ノ谷登り口があり、説明板が建てられている[マップコード163 591 615*15](地図)。駐車スペースがあり、比高も60mと低いので、こちらを薦めたい。
標高150mの白鹿山頂上に「一の床」があり、祠が祀られている。北に行くと本丸がある。
「一の床」より南西に伸びる尾根上に、大黒丸、小白鹿城がある。一方南東尾根に一段ずつ下がって「二の床」「三の床」(7合目)があり、白鹿谷登り口につながっている。
【歴史】 築城年代は不明。尼子氏の居城月山富田城を防衛するため、水運、軍事上重要であった為、島根半島に築かれた。
一方、毛利元就は、永禄五年(1562年)宍道湖北岸の荒隈山に荒隈城を築き、富田城攻略の向城とした。しかし、その前に白鹿城を攻略する必要があった。
永禄六年(1563年)十月、毛利氏に攻められ開城し、廃城となった。その3年後の永禄九年(1566年)月山富田城も毛利勢に攻略された。