花の山城 (はなのやまじょう) (花山城)
最寄地 熊本県宇城市豊野町下郷3114 2018.12.9
花の山城 (はなのやまじょう) (花山城)
最寄地 熊本県宇城市豊野町下郷3114 2018.12.9
登城ルート
農免農道東の登り口
西尾根の堀切
主郭の無線用電柱
東側腰郭
花の山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 豊野町上郷の標高220mの山頂に築かれ、腰郭、段郭、西尾根に堀切が残っている。
主郭には無線用電柱があるが、訪れる人はほとんど無く、鬱蒼とした山林となっている。
帰りは方向を見失い南西の果樹園のある谷に降りてしまい、農道まで戻るのに苦労させられた。
【案内】 県道244号線の表記番地の西500mの交差点より南へ「豊野西部農免農道」を約1km行くと、左側に道が見える[マップコード128 719 784*03](地図) 。通行量少なく路肩に駐車した。
藪化した道を東へ行き北側から折り返し、南西に登る。「熊本県」の標柱があり鬱蒼とした西側山頂に着く。そこより少し下って東に行くと東西に細長い平坦地があり、その先に堀切がある。
5段ほど郭を登ると主郭に出、中央に無線用電柱が建てられている。東側下段に腰郭がある。
前年、農道西の標高229.7mの山に登ってみたが、自然地形の細長い頂上であった。
【歴史】 天正十年(1582年)に島津氏が八代城(古麓城) まで進出した後、阿蘇領の最前線となった堅志田城に、島津軍は攻撃を行ったが、度々撃退された。
このため島津氏は押えのため、付け城として「花の山城」を築き、戦線は膠着した。
天正十三年(1585年)に甲斐親直が没し、御船城主となった甲斐親英らが同年八月十三日(9月6日)に花の山城を攻め落とした。これを契機に阿蘇合戦が始まり、敗れた阿蘇氏は島津氏に降伏している。
当城も島津氏が奪回したが、天正十五年(1587年)の豊臣秀吉の九州征伐で島津氏が肥後国から撤退した際に廃城となった。