給黎城 (きいれじょう) (喜入城)
最寄地 鹿児島県鹿児島市喜入町8005 2018.12.12 2020.9.22
給黎城 (きいれじょう) (喜入城)
最寄地 鹿児島県鹿児島市喜入町8005 2018.12.12 2020.9.22
登城ルート(緑線は車道)
南方神社参道・右宮坂配水池へ
南ヶ城・配水池
本城西の土塁
本城(西側)
本城北の切岸
北之城の西側入口
北之城西の堀切(横から)
北之城
北之城東の堀切
3代肝付兼武の墓
給黎城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 八幡川に向けて突き出た標高60mほどの3つの尾根にあり、北から北之城・本城・南ヶ城と並んでいる。
北之城へは登り口が分からず、採石場跡の奥から、尾根を登って、北之城を目指した。本丸頂上は細長く、両側に堀切があり、腰曲輪がある。放置され鬱蒼とした山林となり、登った尾根は細く急勾配であった。
本城は急な切岸だ、西側に土塁のある平坦地があり、南に2mほど下がった郭がある。東は崖で、堀切と思われるが見るからに竹や樹木で鬱蒼としていた。
【案内】 県道232号線の指宿枕崎線上を越えて間もなく左折し、約850m南下すると表記番地南に公園があり、トイレ横に説明板が建てられている[マップコード285 664 684*65](地図)。
本城と南ヶ城(地図)は南方神社から給水場への道から行けるようだが、日没間近となり、今回は行っていない。
2回目の訪問で南ヶ城と本城に行ってみた。南ヶ城は配水池があり、簡単に行ける。
本城西側は急な崖で、よじ登ってみると土塁が2か所あった。しかし、竹林と樹木で鬱蒼としており、迷いそうになり崖で引き返した。
北之城は公園の西の尾根にあり(地図)、宮坂第三水源地」横より薮の尾根を東に行くと堀切、曲輪に着く。
市道に沿って武家屋敷があり、約400m南に肝付氏の墓地がある(地図)。
【歴史】 詳細は不詳であるが、建久年間(1190〜99年)頃、伊作平次郎良道の次男・有道がここに居城し、給黎(きいれ)氏を名乗ったと云われる。
応永十八年(1411年)伊集院頼久の所領となった。
しかし、同二十一年(1414年)島津家8代久豊が、肥後球磨の相良氏の援軍を得て、頼久を攻め、戦勝を祝して給黎を喜入に改めた。
文禄四年(1595年)より大隅肝付氏の庶流、肝付兼武の居城となった。承応二年(1653年)4代領主兼屋のとき、麓(喜入小学校)に居館(肝付家仮屋)を移すまで、ここが政治の中心的役割を果たしてきた。