新庄城 (しんじょうじょう)
最寄地 奈良県葛城市南藤井17 2016.9.3
新庄城 (しんじょうじょう)
最寄地 奈良県葛城市南藤井17 2016.9.3
屋敷山公園
園池
城址碑
前方後円墳(林の中)
古墳上面
新庄城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道30号線西の「葛城市中央公民館」(表記番地)の北の屋敷山公園となっている。道路東に公園利用者駐車場が用意されている[マップコード36 521 873*75]。
屋敷山公園は中央に池があり、北に前方後円墳がある。古墳を利用した城で、古墳に登る途中に「新庄城跡」の石碑が建てられている。
【歴史】 慶長六年(1601年)紀伊国和歌山から桑山一晴が1万6千石で所領を移され新庄藩初代となった。 慶長九年(1604年)養子として入っていた桑山一直が兄一晴の死去により家督を継いだ。
寛永十三年(1636年)一玄(かずはる)が継ぎ、延宝五年(1677年)桑山一尹(かずただ)が家督を継いだ。
天和二年(1682年)四代将軍徳川家綱の法会が寛永寺で行われた際、院使饗応役に命じられていた桑山一尹が勅使に対して不敬があったとされ改易となった。
その後、永井直圓(なおみつ)が新庄藩一万石の大名として入封した。文久三年(1863年)8代藩主永井直壮(なおさか)が櫛羅陣屋に移すまで存続した。