箕坪城 (みのつぼじょう)
最寄地 長崎県平戸市主師町19 2017.5.11
箕坪城 (みのつぼじょう)
最寄地 長崎県平戸市主師町19 2017.5.11
登城ルート(緑は2郭)
県道東登り口
堀切
鞍部西の石垣
主郭・櫓台
2郭
2郭西の石垣
箕坪城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 平戸島北部の標高288mの城山頂上にある。当初、登り口が判らず、近所のおばあさんに親切に教えてもらった(感謝)。
登りは比高が高く疲れるが、鞍部の西、2郭の西に石垣がよく残っていた。
【案内】 県道19号線横の坂道が登り口となっている[マップコード585 657 295*00](地図)。
坂を南に行き、地蔵の背後から登る。石積みに沿って登り巨岩の上部に出ると、ジグザグになった踏み跡が見える。
中腹から先は尾根などがあり、道ははっきりしている。堀切を越えて登ると、鞍部に出る。その南に広い主郭があり南側に土塁櫓台が残っている。
北西に細長い2郭がある。右側に一段下がって帯郭があり、左側に石垣が残っている。
【歴史】 築城年代ははっきりしないが、松浦氏によって築かれたと云われている。
延徳三年(1491年)、平戸松浦正 (まさし:弘定)は、兄・昌(志佐純元)の田平里城を攻め奪ったことから、有馬貴純が純元の要請を受け平戸を攻めた。
松浦正は白狐山城に籠もったが、守り切れずのち箕坪城に逃げ込んだ。3ヶ月後、箕坪城を脱出し大内政弘を頼って海路で筑前に逃れた。
松浦正は、翌明応元年(1492年)大内政弘の援護を受け、平戸に復帰し大内政弘から偏諱を受け弘定を名乗った。