二ツ山城 (ふたつやまじょう) (町の史跡)
所在地 島根県邑智郡邑南町鱒渕 2021.6.9
二ツ山城 (ふたつやまじょう) (町の史跡)
所在地 島根県邑智郡邑南町鱒渕 2021.6.9
登城ルート(緑線は車道)
縄張り図
西側竪堀(遊歩道)
西の丸
箱堀
神明丸
馬場
本丸
駄屋の段
二ツ山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高50m(駐車場より)】
【感想】 邑南町鱒渕の標高530.8mの二ツ山に築かれており、遠くから見ると東西が高く中央が窪んだ独特の山容が目を引く。
西側の最高所に西の丸群、箱堀を挟んで鞍部の郭群、東の本丸群の3つから構成されている。
町道の途中の竪堀や西尾根の複雑な堀切と竪堀、鞍部の箱堀やなど見所は多い。
【案内】 国道261号線より北東に200m行った所から「町道二ツ山線」が始まる[マップコード726 093 031*37]。そこに説明板が建てられている。
そこから約1.5km登ると西側に駐車場に着く。
西尾根にハの字の竪堀があり、遊歩道はその一つで、途中に堀切が見られる。
最高所の西の丸に三角点があり、西側に天神丸、南側に「泉水の段」、東側に「お蔵の段」がある。箱堀を挟んで神明丸、「舞殿の段」、馬場があり、東の山頂に広い本丸がある。本丸の東下段に「駄屋の段」が配置されている。
平成十六年(2004年)8月24日、邑南町の史跡に指定された。
【歴史】 貞応二年(1223年)、この地に来往した富永朝祐が築城し、出羽(いずは)姓を名乗った。その後出羽氏は一大勢力を持ったが、正平十六年(1362年)に藤掛城主高橋師光・貞光父子による攻撃で城主出羽実祐は討死し落城した。
高橋氏は二ツ山城向かいの山に本城を築き、そこを拠点としたので、二ツ山城は高橋支配時代には使われなかったと思われる。
享禄三年(1530年)に高橋氏が毛利元就によって亡ぼされると、二ツ山城は毛利氏の石見進出の拠点となった。
翌年、出羽氏が出羽郷を回復し、二ツ山城に復帰した。
天文十一年(1542年)大内義隆が尼子攻略のため二ツ山城に入城している。
弘治三年(1557年)吉川元春が温湯城主・小笠原長雄攻略のため、二ツ山城に入城した。
永禄元年(1558年)二月、吉川元春を大将とする毛利軍が、毛利方に付いた出羽元実や福屋隆兼らを率いて二ツ山城に着陣した。別当城(邑南町)を拠点に対抗しようとした尼子氏方の軍勢(牛尾幸清・本城常光・小笠原長雄)を撃ち破っている(出羽表の戦い又は石州出羽の戦い)。
永禄四年(1561年)毛利元就が本明城主・福屋氏攻略のため、二ツ山城に入城した。
永禄年間には毛利元就の子・元倶が出羽氏に養子に入った。この頃に城が再整備され城域も拡大し、現在に残る姿になったとされる。
天正十九年(1591年)出羽元実が出雲国に移封となり廃城になった。