三開山城 (みひらきやまじょう) (市の史跡)
最寄地 兵庫県豊岡市大篠岡523 2019.9.20
三開山城 (みひらきやまじょう) (市の史跡)
最寄地 兵庫県豊岡市大篠岡523 2019.9.20
登城ルート
全勝寺登山口標柱
フエンス扉
尾根を登った千畳敷の切岸
主郭
主郭と東側の2郭
東堀切
南1段
南3段
三開山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高190m】
【感想】 円山川の支流六方川・穴見川に囲まれた但馬富士とも呼ばれる標高201.5mの三開山に築かれている。
東西に長い楕円形の主郭には、城跡標柱や説明板が建てられており、東から北にかけて2郭があり、東には2条の堀切がよく残っている。
一方、西には3段の郭があり、そこから南尾根に行くと広い郭が3段になって残っている。
北側に比高40m程下ると千畳敷と呼ばれる広い屋敷跡があり、東側に井戸(湧水)がある。
【案内】 県道703号線に面して標柱が建てられており、その横に駐車した[マップコード194 672 815*20]。
「みひらきの森案内図」のある全勝寺横の細い道を通り、突き当りの標識に従い左に行くと社があり、尾根にフエンス扉がある。
そこより堀道を南下すると、堀道が消え竹林の斜面の踏み跡を辿り谷筋に出る(案内図ではそのまま谷筋を登るようだが、踏み跡が判らなくなった)。そこから右側の尾根に登り尾根を直登すると千畳敷の切岸に着く。
千畳敷の東側に井戸がある。案内標識は瑞峰寺(豊岡市木内757)からの標識ばかりで、瑞峰寺から登るのが判りやすいかもしれない。
南に城跡の急斜面が見え、西に回り込み竪堀から直登する。
豊岡市の史跡に指定されている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、康永三年(1344年)一月丹波守護となった山名時氏は、前の丹波守護代荻野朝忠を追って但馬に入り、三開山城を攻略した後、この城に拠り自ら但馬守護を称した。
伊達朝綱軍忠状によると、延文三年(1358年)十一月には朝綱らが山麓に展開した篠岡合戦により同年十月、山名時氏軍は敗退したと伝えられる。
しかし、山名氏はその後但馬国内で勢力を伸ばし時義の時但馬守護となった。
天正八年(1580年)羽柴秀吉の但馬平定の折、攻められて落城した。