野崎城 (のざきじょう)
最寄地 大阪府大東市野崎2丁目7−1 2018.7.11
野崎城 (のざきじょう)
最寄地 大阪府大東市野崎2丁目7−1 2018.7.11
登城ルート(緑線は車道)
登り口
8合目の郭・休憩所
主郭・城址碑
城址碑・説明板
背後の堀切
野崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 大東市野崎の標高111.4mの山頂にあり、公園化されている。西側に2段の郭、東側に堀切が残っている。
【案内】 国道170号線「野崎」交差点より東に行った慈眼寺野崎観音(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード11 452 826*86]。
本堂左側より飯盛ハイキング道があり、中腹の郭に休憩所がある。さらに登ると8合目の郭に休憩所が建てられている。頂上に南北に細長い主郭があり、城址碑、説明板が建てられている。
東へ階段道を下ると堀切があり、大東市立野外活動センターへのハイキングコースにつながっている。
【歴史】 『太平記』によると、四條畷合戦(1348年)において、北朝軍の縣(あがた)下野守が、ここに陣を置き、南朝軍の楠木正行と対峙した記述がある。
応仁の乱(1467年)後の戦国期には、当時の日記である『尋尊大僧正記』や『後法典院記』などに記され、その中に「野崎城」が出てくることから、15世紀中頃には築かれていたと推定される。
永禄三年(1560年)頃、三好長慶により飯盛山城を築かれた以降は、その出城として機能したと考えられる。