明禅寺城 (みょうぜんじじょう)
所在地 岡山県岡山市中区沢田/原尾島 2021.2.12
明禅寺城 (みょうぜんじじょう)
所在地 岡山県岡山市中区沢田/原尾島 2021.2.12
登城ルート(緑線は車道)
入口(どちらも先で合流)
巨石のある平坦地
主郭東の空堀
主郭
南の郭
明禅寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 旭川の支流百間川南の標高約110mの尾根山頂に築かれている。
南北に細長い主郭の東に空堀があり、北側に2段の郭、南側に1段の郭が残っている。
南側は石切り場で、堀切など不明瞭になっている。
【案内】 東側を通る市道に特徴的な石塔がありその手前に駐車できる[マップコード19 895 509*84]。恩徳寺にも駐車できるが、そこへ至る道は狭い。
西へ約150m歩くと2つの入口があり(地図)、どちらもその先で合流する。
北に約150m行くと尾根に出、大きく左に曲がる(そこに標識あり)。
遊歩道を道なりに約400m登って行くと北側の郭に出る。
巨石のある所を過ぎ南に登ると四阿が建てられた主郭があり、東側に通路の堀が見られる。
南側に1段下がって平坦地があり、その先は石切り場となっている。
【歴史】 北東方約8kmの亀山城を居城にし、戦国大名への成長期にあった宇喜多直家が永禄九年(1566年)岡山平野と西の備中国三村氏に備えて築いた出城である。
翌年、備前国への侵攻を図った備中松山城主・三村元親勢に占領されたが、宇喜多直家は奪還を果たし、三村勢を迎え撃って完勝した(明禅寺崩し)。