本山城 (もとやまじょう) (市の史跡)
所在地 愛媛県松山市小浜 2020.2.9
本山城 (もとやまじょう) (市の史跡)
所在地 愛媛県松山市小浜 2020.2.9
説明板
登城ルート
大浦港待合所
大串農村公園・四阿・遠景
ここから尾根を直登
北側虎口の石垣
主郭
本山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 松山沖の中島南側にある標高105.8mの山頂に築かれている。頂上の細長い主郭から南へ段郭、2郭、3郭が並び、主郭北側に石垣、竪堀が残っている。
石垣や竪堀が見られたが、主郭は背丈を優に超える矢竹が密生し、中で迷うほどであった。市の史跡にもなっているので、刈って欲しい所だ。
【案内】 伊予鉄高浜線「高浜駅」前に「中島汽船高浜待合所」(松山市高浜町2丁目2232−1)があり、中島の大浦港へ定期船が運行され、駐車場が有料(500円)で利用できる[マップコード53 459 554*20](地図)。
今回は8.30高浜発の東線(高速船)を利用し、大浦港待合所のレンタサイクルで見学し、11.40大浦発の東線(フエリー)で帰路についた(9.00~11.40まで自由時間)。
中島にある大串農村公園の四阿横に説明板が建てられている。登り口は南西側にあるが(地図)、道は矢竹が倒れ蔓草が絡まり埋もれているため、北東側から尾根を直登した(地図)。
登ってゆくと歯朶が多くなり、それを掻き分けて行くと石垣があり、竪堀がある。頂上主郭の大部分は矢竹が密生し、開けているところも草木が多く全景は見えないが三角点が確認できた。
南側に段郭があるがここも見通し悪く、犬走りなど見ることが出来なかった。
昭和四十三年(1968年)10月、松山市の史跡に指定された。
【歴史】 文治年間(1185~90年)忽那城主忽那氏の一族・忽那兼平によって築城されたと云われる。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で、小早川隆景の軍が来襲し、落城したと伝えられている。