感状山城 (かんじょうさんじょう) (瓜生城) (国の史跡)
所在地 兵庫県相生市矢野町瓜生 2017.5.14
感状山城 (かんじょうさんじょう) (瓜生城) (国の史跡)
所在地 兵庫県相生市矢野町瓜生 2017.5.14
登城ルート
登り口
大手門跡・石垣
三曲輪
南曲輪群の石垣
2曲輪石垣
主郭・標柱
感状山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高200m】
【感想】 矢野川とその支流鍛冶屋川に挟まれ、半島状に突き出た標高305mの感状山頂上に主郭を置き、南に2曲輪、南曲輪、3曲輪と配置している。大手門石垣、井戸跡や南曲輪の石垣がよく残っている。樹木少なく眺望は良い。
【案内】 県道44号線より「羅漢の里」へ向かう道路に面した「桔梗隼光(ききょうはやみつ)鍛刀場」駐車場が利用できる[マップコード114 458 025*46](地図)。
戻って鍛冶屋川を渡り、東に100mほど行くと、遊歩道登り口があり、説明板が建てられている(地図)。
約650mのジグザグの登りとなる。9合目付近で道は分かれ、左に行くと物見岩を経て三曲輪に着く。右に行くと大手門跡、井戸跡を経て三曲輪に着く。
3曲輪より東側斜面を登ると、南曲輪群に石垣がよく残っている。その上段に、二曲輪(南・北)があり主郭(一曲輪)に至る。
平成八年(1996年)3月28日、白旗城跡・置塩城跡と共に「赤松氏城跡」として国の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代に瓜生左衛門尉が創築したと伝えられている。
南北朝時代の初期に赤松則祐が築城し、以後、守護赤松氏一族の居城となった。
建武三年(1336年)新田義貞の侵攻に対して、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐が、新田勢を50余日にわたり足止めをした功績により、足利尊氏に感状を授かったことに由来し感状山城と呼ばれるようになったと伝えられている。
天正五年(1577年)に羽柴秀吉の上月城攻めの時に落城したとの説がある。