根来寺 (ねごろじ) (根来城) (国の史跡)
所在地 和歌山県岩出市根来2286 2013.9.5
根来寺 (ねごろじ) (根来城) (国の史跡)
所在地 和歌山県岩出市根来2286 2013.9.5
根来寺参道
大門
根本大塔(国宝)
庭園(国の名勝)
根来寺駐車場(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道63号線より東に600m行くと根来寺駐車場が用意されている[マップコード35 413 792*82]。北に川を渡ってゆくと、根来寺(表記番地)がある。
新義真言宗総本山(一乗山大伝法院根来寺)であり、本尊は大日如来、開山は覚鑁(かくばん・興教大師)である。
境内は国の史跡となっており、大塔(国宝)、大師堂(重要文化財)、大日如来坐像・金剛薩埵坐像・尊勝仏頂坐像(重要文化財)等があり、国の名勝となっている本坊庭園がある。
平成十九年(2007年)2月6日、「根来寺境内」として国の史跡に指定された。
【歴史】 平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁が大治五年(1130年)に高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことに始まる。
保延六年(1140年)、覚鑁の高野山の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされる事件が発生した。
覚鑁一門は高野山を下りて、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移した。
さらに新たに円明寺を建て伝法会道場とした。豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成された。
室町時代末期の最盛期には坊舎450を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。
織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長の没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(のぶかつ)の戦いにおいて徳川方に通じ、留守の岸和田城を襲ったほか、南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の、雑賀攻めを招くこととなった。
天正十三年(1585年)三月二十三日、秀吉軍は根来寺に到達し、攻めたて大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。
江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと一部が復興された。