須崎台場 (すさきだいば) (土佐藩砲台)
所在地 高知県須崎市中町2丁目 2020.12.10
須崎台場 (すさきだいば) (土佐藩砲台)
所在地 高知県須崎市中町2丁目 2020.12.10
石碑
説明板
弧状の石垣・土塁
砲座の石垣
須崎台場跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 須崎市の富士ヶ浜に面して弧状の土塁があり、さらにその上に7門の砲座があり、内側には石垣が施されている。弾薬庫のあったところは埋められ、公園となって市民の憩いの場になっている。
【案内】 土讃線北の「西浜公園」となり、石碑や説明板が建てられ、弧状の土塁や石垣が残っている[マップコード181 184 131*07]。
昭和19年(1944年)11月、国の史跡に指定された。
【歴史】 幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため土佐藩の命により文久三年(1863年)7月に着工し、1ヶ月半の短時日で完成した。
須崎には西、中、東の3ヶ所に台場が築かれたが、この西台場のみが現存している。
規模が最大で長さ116m、砲門7座、内側に弾薬庫が7ヶ所あったが明治初年に埋められた。
慶応三年(1867)八月六日、イギリス水夫殺害事件で公使パークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。