船上山城 (せんじょうさんじょう) (船上山行宮) (国の史跡)
最寄地 鳥取県東伯郡琴浦町山川651 2016.5.20
船上山城 (せんじょうさんじょう) (船上山行宮) (国の史跡)
最寄地 鳥取県東伯郡琴浦町山川651 2016.5.20
登城ルート
登り口
船上山
船上山行宮之碑
木戸石垣・堀切
船上神社
行宮跡・土塁
船上山行宮跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【案内・感想】 山陰自動車道「琴浦船上山」ICより右折、南へ行き県道289号線を南下する。表記番地より南へ県道34号(大山環状道路)に入り、ダム湖を大きく曲がって約4km行った、カーブ手前に船上山駐車場がある[マップコード 252 657 469*46 ](地図)。左手に説明板が建てられ、登山道(東坂コース)入口がある。
木道を登ってゆくと、やがて視界が開け船上山東側の険しい崖が見えてくる。分岐を右に石段が所々残る道を登ってゆくと、標高615.4m比高約200mの山頂北東に着く。
小高い頂に「船上山行宮之碑」の石碑(地図)、「船上山休憩舎」が建てられている。
そこより南西に緩やかな上りを200mほど行くと、木戸石垣と堀切がある。さらに100mほど行くと3ヶ所「寺坊跡」があり、土塁が残っている。
標高687mの山頂に「船上神社」があり右手より東に行くと、「智積寺本堂跡」、「奥の院」があり、手前を右に「後醍醐天皇行宮跡」があり、土塁が残っている。
昭和七年(1932年t65)5月3日、国の史跡に指定された。
【歴史】 船上山城のある船上山は大山の北東に伸びる稜線上にあり、古くは平安仏教の山岳霊場で智積寺という寺院があった。この智積寺がのちに寺院城郭と化したらしい。
南北朝時代初めの正慶二年/元弘三年(1333年)、伯耆の豪族・名和長年が隠岐を脱出した後醍醐天皇をこの地に迎えて行宮(あんぐう)を築き、来攻してきた鎌倉幕府軍を撃退した。天皇方の勝利は全国各地の反鎌倉幕府勢力を決起させ、鎌倉幕府崩壊に至った。
建武の新政崩壊後も寺院城郭は存続していたらしく、大永四年(1524年)の尼子氏による伯耆攻略戦「大永の五月崩れ」の際に一山焼失したと伝えられている。また、智積寺は文禄年間に解散したという言い伝えもある。