矢野城 (やのじょう)
最寄地 徳島県徳島市国府町西矢野10−1 2017.9.21
矢野城 (やのじょう)
最寄地 徳島県徳島市国府町西矢野10−1 2017.9.21
城址由来碑
登城ルート
入口標柱
北西堀切
城山神社
14代将軍擁立碑
矢野城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高20m】
【感想】 標高33.6mの平野に突き出た半島状丘陵にあり、西側尾根に堀切が残っている。
頂上には城山神社が建てられ、北側の4段ほどの石垣があるが果樹園用で、当時の物とは思えない。
【案内】 県道123号線に面した「徳島市立考古資料館」(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード56 191 741*42]。
駐車用南西に出入り口があり、狭い道路を南に行きすぐ右折、道なりに西に行く。
入口に「矢野城址入口」の標柱があり、通路の西に曲輪堀切があり、東に登ると「気延山古墳群」があり、頂上に城山神社が祀られている。
その横に「室町幕府十四代将軍擁立碑」や「史蹟矢野城址」の石碑の他、「日本最初のクリスマス」、「農兵活躍史」の石碑が建てられている。
【歴史】 築城年代は不明だが、永禄年間(1558~70年)に矢野駿河守国村が築いたとされる。
永禄十一年(1568年)二月、阿波平島公方の子・足利義栄は篠原長房・矢野国村ら三好家武将勢に擁立され、室町幕府14代将軍となった。
天正五年(1577年)細川真之と対立し攻められた三好長治が自刃すると、当時讃岐国虎丸城主であった矢野国村は長治を攻めた伊沢頼俊を討ち取った。
天正七年(1579年)十二月、脇城下の戦いで三好康俊・武田信顕らの謀略により、矢野国村は三好軍と長宗我部軍との狭撃に遭い、討死した。
その霊を慰める為、城山神社に祀られた。