日嶽城(鶴城) (ひだけじょう(つるじょう))
最寄地 熊本県玉名市岱明町開田834 2021.6.6
日嶽城(鶴城) (ひだけじょう(つるじょう))
最寄地 熊本県玉名市岱明町開田834 2021.6.6
登城ルート(緑線は車道)
箱崎八幡宮・日嶽城遠景
東側竪堀の木道
北側堀切
北西の畝状竪堀
主郭へ
主郭
日嶽城(鶴城)跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 玉名市岱明町開田の標高約186mの日嶽に築かれている。
主郭の中央に岩場があり、南東虎口下に腰郭が残っている。北側尾根に堀切や北西斜面に畝状竪堀が数条よく残っている。
主郭からは靄っていたが、遠く有明海や雲仙普賢岳の絶景が望めた。
【案内】 玉名市岱明町開田の箱崎八幡宮(表記番地)に向かう[マップコード69 107 230*55]。
神社の東高台にトイレがありその先に「ホタルの里」駐車場が用意されている。戻って神社東に案内板が建てられ、「ホタルの里」の右を歩くと、東廻り・西廻りの分岐に着く(地図)。
今回東廻りコース(700m)を選んだ。城跡の東側から急な竪堀の木道を登ると、北堀切に着く。
堀切を西に行き少し登ると北西の畝状竪堀があり、戻って堀切から木道を登り、折り返すと主郭に着く。南東に腰郭が見られる。
【歴史】 建久四年(1193年)四月、八幡別当紀国隆は、幕府から大野別符250町(岱明町と玉名市の一部)の地頭に任じられた。
国隆は、嫡子時隆(中村氏)・次男国秀(築地氏)・三男秀隆(大野氏、惣領職を継ぐ)に各55町を、女子5人には入婿を取り、中尾・山田(二塚)・岩崎・尾崎・河崎を分与した。
弘安四年(1281年)六月、元軍二度目の襲来に奮戦した惣領・大野小次郎くにたかは「蒙古襲来絵詞」にその名を残し、一族の岩崎・田嶋・築地・二塚の4氏は勲功章の田地を得た。
南北朝時代には大野氏一族は南朝方として菊池武光などと行動を共にした。
北朝方の荒尾野原荘地頭・小代氏は小岱山に筒ヶ嶽城を築いた。
大野氏は日嶽に本丸(鶴城)、南麓の古城(亀城)を二の丸として守備した。しかし、文中二年(1373年)頃、北朝方の今川了俊の玉名侵攻により、日嶽城、高道城、上村城はともに落城した。
天文十九年(1550年)八月、豊後の大友義鎮の援軍を得た小代氏は日嶽城を攻めた。
天正九年(1581年)三月、肥前の隆造寺孝信に従った小代親忠により攻められ、大野親祐の日嶽城や高道城などは落城した。