赤穴城 (あかなじょう) (瀬戸山城・衣掛城・藤釣城) (尼子十旗)
最寄地 島根県飯石郡飯南町下赤名713 2018.5.10
赤穴城 (あかなじょう) (瀬戸山城・衣掛城・藤釣城) (尼子十旗)
最寄地 島根県飯石郡飯南町下赤名713 2018.5.10
登城ルート(緑線は車道)
赤名小学校裏の登り口
本丸南・石垣
本丸
二の丸
南郭
赤穴城主代々の墓
赤穴城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高170m】
【感想】 飯南町下赤名の標高681mの山頂に築かれており、国道からも盛り上がった本丸などがよく見える。遊歩道がよく整備され、道標も要所に建てられている。
廃城時に破壊されたという石垣も大手門や本丸虎口付近、3の丸南斜面に残っている。
【案内】 国道54号線より東に行った赤名小学校の北西側に登り口があり駐車スペースがある[マップコード430 296 103*43]。
遊歩道を登ってゆくと「恵厳寺跡」入口があり、その先に稲荷神社があり、説明板が建てられている。
稲荷神社を通って、市道に出すぐ右に登ると「松田左近将監吉久の墓」がある。
戻って標識に従って延々登ってゆくと、大手門跡に着き石垣が残っている。
東に東郭群があり堀切を経て、武名ヶ平城に至る。西に本丸があり、その南西尾根に2の丸、3の丸、南郭群が残っている。また北側に4、5郭が残っている。
向谷会館の西、大光寺の裏に赤穴城主代々の墓がある[マップコード430 265 745*77](地図)。
【歴史】 永和三年(1377年)、赤穴荘の地頭職に任じられた佐波備中守常連により築城され、常連は赤穴氏を名乗った。出雲・石見・備後の国境に接し、戦国時代には月山富田城の支城として度々戦場となった。
天文十一年(1542年)、尼子方の城主赤穴光清は大内氏に攻められ、二ヶ月に亘る攻防の末落城した。
永禄五年(1562年)、毛利氏が出雲に侵攻し、赤穴盛清は毛利氏に降りこれに従った。
慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いにより毛利氏が防長2ヶ国に減封され、赤穴氏もこれに従った。替わって堀尾家重臣・松田将監左近吉久が入城し、石垣を築くなど近世城郭にし、城下町を整備した。
2代目の城主には、松田左近の子で堀尾吉晴の娘婿・堀尾因幡がなった。その後堀尾氏に代わって出雲国を治めた京極氏は山中織部を城主としたが、慶長二十年(1615年)、一国一城令により廃城となり、石垣など破却された。