山田城 (やまだじょう)
最寄地 長崎県雲仙市吾妻町栗林名290 2019.12.10
山田城 (やまだじょう)
最寄地 長崎県雲仙市吾妻町栗林名290 2019.12.10
東側登り口・説明板
物見台
西側腰郭
空堀(奥が本丸)
本丸
本丸南の土塁
山田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 吾妻町栗林名にある山田川左岸の南北に細長い標高49mの丘陵に築かれている。
城址公園となり、本丸南に土塁が残り、本丸の東西に腰郭があり、本丸の北に空堀、物見台、北西側に二の丸が配置されている。石垣の一部が残っている。
【案内】 国道251号線「雲仙市役所」交差点より山田川西岸を約1㎞南下すると、登り口階段があり、説明板が建てられている[マップコード173 878 012*00](地図)。その先の神社前が少し広く、駐車できる。
西側からも登れるが宅地で道が狭く、東側の方を薦める。
【歴史】 南北朝時代の応安五年(1372年)山田庄の地頭であった豊後大友氏の一族・田原民能により築城され、島原半島経略の武家方北朝の拠点となった。
そのため、九州探題今川了俊等がたびたび滞在したが、後に在地土豪の山田一族の居城となった。
山田氏は主家日野江城主有馬氏の重臣として活躍したが、特に有馬晴信夫人が山田氏から出るなど信任が厚かった。
慶長十九年(1614年)有馬氏が延岡城に転封になると、山田氏も主家と共に移った為、廃城となった。