旭城 (あさひじょう) (千束城)(ちづかじょう)
最寄地 福岡県豊前市千束78−1 2019.5.3
旭城 (あさひじょう) (千束城)(ちづかじょう)
最寄地 福岡県豊前市千束78−1 2019.5.3
西面石垣
千束八幡神社
井戸
説明板
北面石垣
千束城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 豊前市千束に築かれた平城で日本最後の築城であった。存続期間も最短で1年ほどであった。石垣は古墳の石を転用した石垣で、特に東面と北面の石垣がよく残っている。
【案内】 「市立ちづか保育園」(表記番地)の東に千束八幡神社がある[マップコード145 630 320*33] 。
方形の館跡には千束八幡神社が建てられ、四辺に石垣が残っている。
【歴史】 慶応二年(1866年)小倉小笠原藩15万石は、長州軍との戦いに敗れ、小笠原貞正は自らの手で小倉城と篠崎藩邸を焼いて、小倉藩主小笠原豊千代丸と、田川郡香春に逃れた。
分家の千束1万石の藩主小笠原貞正は、同年十一月領内安雲の光林寺に入り、明治二年(1869年)塔田原に館の建設を始め、翌三年十月に完成しここに移り、旭城と名付けた。
明治四年(1871年)廃藩置県で廃止され、わずか1年ほどの千束藩の館であった。
明治十三年(1880年)この跡地に千束神社を建立、更に大正五年(1916年)塔田の御霊八幡神社と野田の八幡神社を合祀して千束八幡神社と改称して現在に至る。