生子山城 (しょうじやまじょう) (庄司山城)
最寄地 愛媛県新居浜市角野新田町3-13-13 2017.12.14
生子山城 (しょうじやまじょう) (庄司山城)
最寄地 愛媛県新居浜市角野新田町3-13-13 2017.12.14
登城ルート(緑丸は出丸)
登り口
えんとつ山の煙突と城跡遠景
鉄塔の尾根・標識
主郭・ 説明板
千手観音・地蔵菩薩・城主大明神
生子山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高230m】
【感想】 別子銅山の精錬用煙突のある「えんとつ山」より南東に尾根続きの標高300.5mの山頂にある。遊歩道が設けられ思った以上に登りやすかった。
主郭は20m四方ほどで南側の尾根に堀切が残っている。北側の鉄塔との間にも堀切が認められ、その先に出丸と思われる平坦地があり、新居浜市街や燧灘が望める。
【案内】 県道47号線に面した「別子銅山記念館」(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード172 607 191*56](地図)。
南へ120mほど歩くと「えんとつ山入口」がある。登って行き、えんとつ山との分岐尾根に出、左に登り比高約130m大山積神社奥宮へ着く。
さらに20分ほど東へ登ると尾根に出て、生子山(しょうじやま)城跡の立札がある。
左に約20m進むと標高280.1mの新居浜平野と燧灘を一望できる見晴らし所に至る。
右に行くと鉄塔があり、その背後の急坂をよじ登ると、主郭に出て、三角点、説明板がある。その先に千手観音・地蔵菩薩・城主大明神の石仏が祀られている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、南北朝時代松木通村により築かれたと云われる。以後松木氏歴代の居城であった。
天正十三年(1585年)七月、羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景に攻められた。
城主・松木三河守安村は金子山城主金子元宅に従い高尾城へ籠り、野々市原の合戦で討死した。生子山城も落城した。