大明神城 (だいみょうじんじょう) (大明司塁・小城・山城)
最寄地 宮崎県えびの市大明司1118−1 2018.12.11
大明神城 (だいみょうじんじょう) (大明司塁・小城・山城)
最寄地 宮崎県えびの市大明司1118−1 2018.12.11
登城ルート(緑線は車道)
大明司諏訪神社
東端の堀切
主郭(西側)
主郭西郭間の空堀
西端の堀切
大明神城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 えびの市大明司の標高287mの丘陵に築かれており、東西約200m南北約40mの細長い主郭がある。
東側は竹林となり、東端に堀切がある。西側は杉林となり、西側に小郭、堀切が残っている。
北西約1kmに加久藤城、東約3kmに飯野城があり、その連絡路の中間に築かれている。
【案内】 国道221号線の表記番地より北に行った「大明司諏訪神社」の駐車場が利用できる[マップコード195 175 637*22]。
左手にある赤い鳥居を抜けた所から倒竹の多い斜面を直登する。倒竹の多い主郭を東へ行くと、東端に深く長い堀切が見られる。
戻って西へ行くと杉林となり歩きやすい。西側に空堀、一段低い郭があり、西端に堀切が残っている。
大明司諏訪神社には、島津忠恒の産土神「大戸諏訪大明神」が祀られている。
【歴史】 永禄五年(1562年)、伊東氏に領地を簒奪された北原氏を援けるべく、島津貴久・相良義陽・北郷時久の三人は相互扶助を約束していた。
しかし、翌永禄六年(1563年)、伊東氏がこの城を攻め落とした際には、相良義陽が一転裏切って伊東氏に協力した。島津氏と相良氏の仲が険悪となったきっかけの城である。
その後、再び島津側が取り戻したらしく、永禄十一年(1568年)に相良氏が、桶平城(田原陣)に陣を布く伊東氏と連携し、島津義弘の居城である飯野城を攻めようとした際に、島津勢はこの城にて相良勢の進軍を阻んでいる。