高道城 (たかみちじょう) (高満城・高路城) (市の史跡)
所在地 熊本県玉名市岱明町高道532 2017.5.8
高道城 (たかみちじょう) (高満城・高路城) (市の史跡)
所在地 熊本県玉名市岱明町高道532 2017.5.8
説明板
天満宮南東
高道城趾碑
天満宮
主郭上段の切岸
2の郭北土塁
高道城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 岱明町の標高12.5mの高台にあり、主郭は東西2段になっており、北に水堀跡、西に空堀跡が見て取れる。道路を挟んで南に2の郭があり、北西部に土塁が残っている。
【案内】 県道112号線より約800m南へ行った菅原神社(天満宮)(表記番地)の境内が高道城主郭である。南東の鳥居前に説明板、「高道城趾」碑が建てられている[マップコード415 857 621*41]。
昭和五十四年(1979年)11月26日、岱明町の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代初頭、建久四年(1193年)紀国隆が大野別符の地頭に任じられ、三男秀隆は惣領職を継ぎ大野氏を称した。
国隆の次男築地次郎国親の曾孫高路諸太朗幸経は高道方面を分知され、居館を営み戦時には城とした。
南北朝時代、大野一族は菊地氏と共に南朝(後醍醐天皇方)として戦い、高満(高路)城は幾度となく北朝(足利方)の今川軍に攻められ落城した。
戦国時代末期、肥前龍造寺氏が肥後に進出し、天正十年(1582年)頃、龍造寺氏に与した荒尾の小代氏と戦って、主水貞胤が守る高道城は落城した。