来住城 (きしじょう) (来住構居・沖之城)
最寄地 兵庫県小野市来住町275 2020.5.9
来住城 (きしじょう) (来住構居・沖之城)
最寄地 兵庫県小野市来住町275 2020.5.9
南西入口
城跡看板
曲輪跡の畑
稲荷神社・石宮
北西切岸・堀跡
北東切岸・稲荷神社
来住城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 小野市来住町の平地に、東西30m南北40mほどの広さの城塁が残っている。
畑となっているが、北東隅に稲荷神社・祠が祀られている。小屋の壁に来住城跡の看板が掲示されている。
【案内】 県道118号線より南に行った「家老戸谷公民館」(表記番地)に駐車できる[マップコード31 873 568*40]。少し戻った所に、高さ2mほどの切岸の城跡がある。個人所有となっているようだ。
【歴史】 清和源氏多田満仲の後裔が当地に下向し、来住氏を名乗ったのが始まりとされ、正和二年(1313年)来住安芸守惟友によって築かれたと云われる。
天正年間、来住景政と嫡子景利は別所長治に従って三木城に籠城し、天正八年(1580年)一月の落城時、戦死したという。その後、来住城は廃城となった。