淀山城 (よどやまじょう)
所在地 兵庫県丹波篠山市辻 2019.9.21
淀山城 (よどやまじょう)
所在地 兵庫県丹波篠山市辻 2019.9.21
登城ルート(緑線は車道)
中段の井戸郭・井戸跡
竪堀
2郭・主郭切岸
主郭・土塁
腰郭・主郭切岸・建物跡
淀山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【感想】 「デカンショ街道」を見下ろす標高302mの小山に築かれている。北から2郭、主郭、腰郭と配置され、堀切や東斜面に竪堀や井戸郭などが見られる。
主郭の切岸は攻め手を拒む急な斜面となっている。標識も要所に立てられ堀切や竪堀など見応えがある。
【案内】 国道372号線「デカンショ街道」より細い道を北に行った溜池東に駐車スペースがある[マップコード155 862 231*03](地図)。
そこより蓴菜の生えた池の北側に行くと説明板が建てられている。
電気柵の把手を開け閉めして歩くと井戸郭がある。されに池に沿って南下すると、「本郭」への登り口があり、中段に井戸郭があり井戸が残っている。
帯郭を経て北に行くと深い竪堀がよく残っている。
上段に上がると北に2郭、堀切があり、南に主郭、腰郭がある。
主郭には土塁が残り、説明板や石塔の碑が建てられ、腰郭に礎石が見られる。
【歴史】 波々伯部(ほうかべ)氏の家譜によると、源義家の末裔で房光が篠山に来たと云う。その後次郎左衛門為光が、足利尊氏に仕え、軍功により建武四年(1337年)伯耆国稲光保の地頭職を与えられた。
明徳二年(1391年)山名氏が室町幕府に対して起こした明徳の乱では、光豊、光基などが活躍した。
応永年間(1394~1428年)一族の光尚は「南山城」に、基継は「垣屋城」に入り、光久は「東山城」を築城し、一族繁栄して屈指の土豪に成長した。
その後、山名氏や細川氏の被官となり、また波多野氏が八上城に拠って強大化するに及んでその重臣となり、光忠、光吉が活躍した。
天正七年(1579年)明智光秀の攻撃により光吉は落城前に帰農して、酒屋を開業した。