大除城 (おおよけじょう)
最寄地 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2549 2018.3.6 2020.2.7
大除城 (おおよけじょう)
最寄地 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2549 2018.3.6 2020.2.7
登城ルート(緑線は車道)
配置図
土橋・竪堀
7郭の石塁
主郭東側石垣
南西の 2・3郭
主郭
大除城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 標高694.2mの山頂に築かれた7つの郭から構成される山城である。西側は砕石場の為、多少削られているが、ほとんどの郭は残っている。
放置されているが東に続く尾根を堀切で切り、南に竪堀がよく残っている。この冬の大雪で杉の倒木が土橋付近を塞いでいた。
主郭は30m四方ほどと広いが、杉葉が積りふわふわしており、その南西及び東側に石垣が残っている。また7郭北東辺に土塁と石積が見られた。
【案内】 国道33号線より中予採石に向かう道路脇に説明板が建てられている(地図)。
そこより中予砕石を過ぎ約1km行った表記番地南の防火水槽横に駐車できる[マップコード294 303 640*42]。50mほど直進し石垣のある家の手前を左に行くと、杉林の入口がある。
緩やかな道を登ってゆくと倒木があり、その先土橋の右に堀切から続く竪堀がある。
土橋を過ぎ時計回りに登ってゆくと、右側に7郭への通路があり、7郭の北東に石垣のある土塁が残っている。
引き返してさらに登ると、2郭に出、その西に3郭がある。反対に右に行くと、一段高く主郭がある。
【歴史】 寛正五年(1464年)久万山入道というものが、築城したとする庄屋記録があり、その時は小規模な砦と考えられる。
『予陽河野家譜』によると、築城時期は定かでないが、砦跡に文亀元年(1501年)前後に、土佐一条氏の侵入を防ぐために河野氏が築城し、喜多郡宇津城主大野安芸守直家に守らせたと記されている。
天文年間(1532~55年)には直家の子利家が河野氏に叛いて小手ヶ滝城、大熊城(ともに川内町)の戒能氏を攻め、永禄年間(1558~70年)には、土佐一条氏が久万山に侵入したのを、利家の子直昌が防いだという(予陽河野家譜)。
直昌は武勇にすぐれ、土佐長宗我部氏に対抗する山の手の旗頭として、河野氏の重鎮であった。その幕下は48騎、41ヶ城と云われ大除城を中心に三重の円陣を描き予土国境に展開していたという。『久万高原町教育委員会説明板』より。