怡土城 (いとじょう/いとのき) (古代山城) (国の史跡)
所在地 福岡県糸島市高来寺 2014.5.8
怡土城 (いとじょう/いとのき) (古代山城) (国の史跡)
所在地 福岡県糸島市高来寺 2014.5.8
登城ルート
高来寺バス停付近登り口
第5望楼跡
第4望楼跡
第3望楼跡
第2望楼跡
高祖神社の怡土城址碑
怡土城 第5望楼跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【案内・感想】 県道56号線高来寺バス停付近に登り口がある[マップコード224 494 265*62](地図)。
約200m登ると第5望楼跡があり、建物礎石が良く残っている。
約300m行くと第4望楼跡があり(地図)、その先約300mに第3望楼跡があり建物礎石が残っている(地図)。
更に約500m行くと第2望楼跡の礎石がある(地図)。尾根を約800m行くと第1望楼跡に着く(地図)。
そこから約1.2km行くと、高祖山頂上に高祖城「上ノ城」がある。
高祖神社(糸島市高祖1578)の南に「怡土城址」の碑が建てられている。
昭和十三年(1938年)8月8日、国の史跡に指定され、平成十九年(2007年)3月23日、高祖山の山麓から山頂部に至る範囲のうち、条件の整った地域が追加指定された。
【怡土城歴史】 現在遺構としては、高祖山(たかすやま)の西裾に1.6㎞の土塁、尾根線上に計八か所の望楼跡が残る。
『続日本紀』によると、遣唐使に加わり二度留学し、その後大宰府政庁の高官となった吉備真備が、孝謙天皇の命により天平勝宝八年(756年)六月築城に着手。
途中吉備が東大寺造営で佐伯今毛人(いまえみし)と交代し神護景雲二年(768年)二月、完成したとされる。
当時唐では、玄宗皇帝に対する「安禄山の乱」が勃発し、朝鮮半島では新羅が日本の国使との会見を拒否するなど、対外的な緊張が高まり九州の防備が急務となっていた。
その後、情勢変化で利用されることなく廃城となった。