生石台場 (おいしだいば) (生石山砲台)
所在地 兵庫県洲本市由良町由良2605 2020.2.2
生石台場 (おいしだいば) (生石山砲台)
所在地 兵庫県洲本市由良町由良2605 2020.2.2
登城ルート(緑線は車道)
由良要塞跡地の石碑
第四砲台
第三砲台
生石山堡塁塹壕
第一砲台
生石山堡塁跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 紀淡海峡を望む標高112mの生石山に築かれた砲台跡で、明治から太平洋戦争終戦までの間使用された。5つの砲台に夫々4~8門の大砲が設置されていた。
大半は終戦後破壊されたが、煉瓦造の塹壕などが一部残っており、太平洋戦争時の忙しく動き回っている砲兵たちの姿が目に浮かぶ。
【案内】 「エトワール生石由良交流センター」(表記番地)入口付近に「由良要塞跡地」の石碑が建てられ、北側半島の小高い所が試射場跡で、センター東側の海岸側に土塁石垣がわずかに残っている[マップコード210 084 413*37](地図)。
交流センター西側の道路を登ってゆくと、左側に発電所跡の煉瓦が見え(地図)、更に登ってゆくと、第四4砲台跡(4門)があり、その先に生石山展望台があり駐車場が用意されている[マップコード210 084 196*12]。
南の稜線の遊歩道を登ると第五砲台跡(4門)、第三砲台跡(8門)と並び「生石海峡展望台」に着く。そこから南西に第二砲台跡(6門)、出石神社、灯台、第一砲台跡(6門)があり山頂に生石山堡塁跡がある。直接車で生石山堡塁跡に行くことも出来、そこにも駐車場が用意されている[マップコード210 054 693*10]。
【歴史】 幕末の外国船に対する備えとして砲台が造られて以来、太平洋戦争の終戦まで海の守りの要所として使用された。生石山砲台、成山砲台、高崎砲台(幕末から)、友ヶ島砲台等を総称して由良要塞と呼ばれる。
明治二十二年(1889年)三月、生石第三砲台が起工され、由良要塞の建設開始となった。明治二十九年(1896年)七月、由良要塞司令部が開設された。