八尾城 (やおじょう)
所在地 大阪府八尾市本町7丁目7−27 2022.3.15
八尾城 (やおじょう)
所在地 大阪府八尾市本町7丁目7−27 2022.3.15
八尾神社
城址碑
常光寺・古戦場碑
八尾城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 八尾神社拝殿右奥に城址碑が建てられている(地図)。西の常光寺(本町5丁目8−1)一帯が城跡とされる。
【案内】 八尾神社(表記番地)南側の一方通行路に面してパーキングがある[マップコード1 177 157*67]。常光寺には「大阪夏の陣古戦場」の石碑が建てられている。
【歴史】 河内国八尾の豪族・八尾別当顕幸が室町時代初期に築城したとされる。八尾別当顕幸は南朝方に味方していたが、敗れて北朝方によって占領された。
延元二年(1337年)に南朝方の高木遠盛らの軍勢が八尾城の奪還を企図し猛攻をかけた。その際に城内の建物は悉く焼失した。その後、八尾城は再建された。
イエズス会の報告では、戦国時代末期に八尾城は織田信長の家臣となった切支丹武将の池田丹後守教正の居城であった。その頃の城下には切支丹がいたという。
元和元年(1615年)五月六日、 大阪夏の陣の際、常光寺一帯が戦場となった(八尾の戦い)。家康に仕えた藤堂高虎は常光寺で敵の首実験をしたという。