秋津城 (あきつじょう)
最寄地 奈良県吉野郡下市町下市899-2 2016.9.3
秋津城 (あきつじょう)
最寄地 奈良県吉野郡下市町下市899-2 2016.9.3
説明板
登城ルート
東斜面の墓地
虎口
主郭
北側の堀切
秋津城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高25m】
【案内】 国道309号線「戎神社前」交差点より東に200mほど行った表記番地先を右折、150m行くと右に霊園駐車場がある[マップコード36 140 247*40]。またその先の三叉路を右に行くと説明板が建てられている(地図)。
城跡へは、三叉路手前を右に入り、霊園墓地の坂道を西に登ってゆくと、虎口があり頂上に主郭がある。ここも墓地となっている。北に堀切あり、曲輪が二段になって残る。
東側は霊園となり、西側中腹に「下市八幡神社」がある。
【歴史】 秋津氏は朝廷に奉仕し、淳和天皇の代(823~33年)左衛門守重の時、大和国吉野郡に封ぜられた。県名(あがたな)の秋津を姓とした。以後、代々この地を支配した。
延元元年(1336年)後醍醐天皇は京都を離れ、吉野に皇居を移された。その際、一郡の長を召して各々旗を賜った。
秋津守吉もその一人であり、秋津の古郭を修復し、有事に備えた。守吉は数々の戦功を立て、天皇から守の字を賜り、諱(いみな)を守吉と改め、子孫は守の字を諱に冠するようになった。
それから約120年後の北山の変で、秋津氏は北山村・川上村に出陣し戦死した。
その後、永禄二年(1559年)五月秋津城は落城炎上した。『下市町教育委員会』