米津城 (よなづじょう) (滝ノ城)
最寄地 愛媛県大洲市米津107 2020.2.7
米津城 (よなづじょう) (滝ノ城)
最寄地 愛媛県大洲市米津107 2020.2.7
登城ルート
清涼寺地蔵尊参道
砂防ダムの右側を登る
北尾根の切通しより右斜めに登る
主郭北西の堀切(左側が主郭)
主郭・石積
南側郭の石積
米津城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 肱川右岸の標高149mの山頂に築かれている。西側は断崖絶壁で麓からもすぐ目に付く。
北側尾根に堀切や切通しが設けられ、他の三方は切り立った崖の要害となっている。
切通へは東側林道のヘアピンカーブ地点(地図)から西へ行った方が分かりやすいかも知れない。
【案内】 県道24号線と並行して米津地区を通る市道の表記番地先から「清涼寺地蔵尊参道」があり、その先の路肩に駐車できる[マップコード204 559 639*61](地図)。
そこからき北東に行くと砂防ダムが3つありその右側を登ってゆくと、民家跡の石垣がある。その背後から東に行くと尾根道があり、石垣、切通しに着く。
切通の上から南に行くとすぐ堀切があり、更に南に横堀のある城塁がある。北西側に堀切があり、そこから左に登ると主郭がある。
主郭は石積みや、神社跡の基礎が残っている。
南側に尾根片側を削り残して土塁とした細長い郭があり、土塁側に石積が見られる。
【歴史】 建武年間(1334~38年)宇都宮行胤によって築かれたと云われる。
行胤は大洲城を築いた宇都宮豊房の一族で、肱川下流の当地に移り津々喜谷氏を名乗った。
天正七年(1579年)、四国統一を目論む長宗我部氏によって攻められ、落城し、城主津々喜谷延行は西禅寺で自刃した。