勝楽寺城(しょうらくじじょう) (勝楽寺山城)
所在地 滋賀県犬上郡甲良町正楽寺4 2016.12.26
勝楽寺城(しょうらくじじょう) (勝楽寺山城)
所在地 滋賀県犬上郡甲良町正楽寺4 2016.12.26
登城ルート(緑は上臈落とし)
勝楽寺・移築門
主郭南石垣
主郭
見張り台
上臈落とし
勝楽寺山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 標高308m比高約170mの南北に細長い尾根上にあり、北端の主郭の虎口右に石垣がよく残っている。
上臈(じょうろう・身分の高い女性)落としは、決死の戦いに臨み、妻子と今生の別れをしたと伝わる場所で、しばし戦国の世に想いを馳せた。
【案内】 国道307号線より名神高速道路を潜って行った勝楽寺(表記番地)前、池の横に駐車出来る[マップコード101 079 867*75](地図)。寺の前に説明板が建てられている。
寺の南に獣除けフエンス扉があり、少し登ると仕置き場と呼ばれる場所に処刑された霊を供養する地蔵群がある。応安元年(1368年)ころ高筑豊前守が城主に背いたものを処刑した場所である。
登ってゆくと、経塚(佐々木道誉の第3子高秀が父の菩提をともらった折りの一字一石の経文を埋めた)があり、中腹に狐塚の祠が祀られている。
上り詰めると尾根に出、左(北)に行くと、2つの小郭を経て標高308mの尾根北端に主郭があり、虎口右側に石垣が20m以上にわたって残っている。その北に見張り台がある。
一方、尾根南に上臈落とし(地図)がある。
【歴史】 南北朝時代、応安元年(1368年)佐々木(京極)道誉が家臣高筑豊前守に命じて、領地支配の為に築城した。
戦国時代、六角氏が勢力を伸ばしその支配下に入った。永禄三年(1560年)野良田の戦いで六角義賢に勝利した浅井長政は、勝楽寺城を支配下においた。
永禄十一年(1568年)、織田信長に攻められ落城し、炎上した。その時、焼け残った6脚門が勝楽寺に移築されている。