隼人城 (はやとじょう)
所在地 鹿児島県霧島市国分上小川3819 2013.10.10
隼人城 (はやとじょう)
所在地 鹿児島県霧島市国分上小川3819 2013.10.10
国分小学校から見た城山
城山公園駐車場・土塁
城山公園開園記念碑
移設橘木城跡供養塔
隼人城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 霧島市国分上小川の標高192mの城山にあった。国分城山公園として整備されているが、駐車場周囲に土塁状の土手が見られるものの、大方削平され、遺構はほとんど消滅している。
【案内】 市立国分小学校(霧島市国分中央2丁目5−1)東の交差点より約1.7kmの舗装道を登ってゆくと、城山公園駐車場がある[マップコード216 544 423*16]。
城跡は国分城山公園となっており、「霧島市立国分郷土館」には、橘木(たちばなぎ)城跡にあった供養塔が移設されている。
南北朝時代、橘木城を守る北朝方の重久篤兼と南朝方の肝付兼重・野辺盛忠との合戦で討死した兵士の霊の供養塔とされている。
【歴史】 古代、熊襲隼人の居城であったとの伝承があり、発掘調査でも縄文・弥生時代から古代にかけての遺物が出土している。ちなみに城山は養老四年(720年)の隼人の反乱の時に使われた「曽於乃岩城(そおのいわき)」と言う説がある。
最初に歴史に登場するのは、応永年間(1394~1428年)に税所淳弘が居城したと云われる。 大永五年(1532年)、本田兼親は本田親尚に讒言で橘木城を奪われたため、兼親が隼人城に拠ったという。
慶長九年(1604年)、島津義久が隼人城南麓に国分城を築いて富隈城から移り、隼人城を詰めの城とした。