加瀬田城 (かせだじょう) (加瀬田ヶ城・高雲加瀬田城・平房城) (市の史跡)
最寄地 鹿児島県鹿屋市輝北町平房659 2018.12.14
加瀬田城 (かせだじょう) (加瀬田ヶ城・高雲加瀬田城・平房城) (市の史跡)
最寄地 鹿児島県鹿屋市輝北町平房659 2018.12.14
登城ルート(緑線は車道)
城趾碑・登り口
空堀
西郭・堀切・主郭
南東の2郭
主郭
主郭西側の土塁
加瀬田城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 鹿屋市輝北町平房にあり、東に突き出た標高205mの尾根先端に築かれている。
主郭の高土塁や西側の空堀、堀切などよく残っている。保全活動も頻繁なようで、草木は少なかった。
【案内】 県道72号線の北側、表記番地先を左折し[マップコード472 438 286*03]、 細い道を200mほど西に行くと、城跡碑、説明板が建てられ、登り口がある[マップコード 472 438 370*61](地図)。
遊歩道を登り、右へ曲る所から空堀が見え堀底を登ると、広い郭とその上段に西郭がある。主郭切岸との間に堀切が残っている。
戻って東(右)に行くと、小郭を経て、広い2郭に着く。その上段に主郭があり、肝付兼隆のものであろうか宝篋印塔が2基祀られ、西側に高土塁があり、祠が祀られている。西側には最初見た深い堀切がある。
昭和三十八年(1963年)3月3日、輝北町の史跡に指定された。
【歴史】 築城者や年代は記録に無いが、肝付氏の居城・高山城の支城で、三俣(肝付兼重)との中間に位置し、戦略や連絡上重要な城であった。
戦い記録に無いが、最も古い記録は、延元元年(1336年)四月、北朝方の島津貞久が、高山と三俣を分断しようと、肝付彦太郎兼隆の守る加瀬田ヶ城を攻め、35日間の攻防が続いた。
城内では三俣からの援軍を待っていたが、途中で北朝方に阻まれ、遂に落城した。