土山城 (つちやまじょう)
最寄地 滋賀県甲賀市土山町北土山1818−1 2019.4.11
土山城 (つちやまじょう)
最寄地 滋賀県甲賀市土山町北土山1818−1 2019.4.11
登城ルート(緑線は車道)
登り口・城址碑・説明板
4郭と奥の2郭間の空堀
2郭と主郭間の土橋・空堀
土橋西の空堀
主郭・土塁
主郭東横堀
北東背後の堀切
土山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 甲賀市土山町の比高30m程の丘陵に築かれており、5つの主要郭が馬蹄形状に配置されている。
土塁・空堀を巡らせた主郭や角馬出状虎口空間、尾根の堀切などよく残っており、標識もあり見応えがある。
【案内】 国道1号線「土山支所」交差点より北に約200m行って右折、約350m行って川を渡り左折した先にある「畑組集会所」(表記番地)に駐車できる。
その先を右に曲がると、城址碑、説明板が建てられ、その左から通路が設けられている(地図)。
土塁で囲まれた主郭、馬出状の2郭、広い4郭、馬出状の5郭が並び、4郭の西に谷を挟んで土塁のある3郭が配置されている。
各郭の間に空堀があり、主郭の土塁は高く周囲に空堀を巡らせてある。主郭の北側にも虎口があり、北西尾根に堀切が残っている。
【歴史】 文明年間(1469~87年)甲賀五十三家の内の一人・土山鹿之助盛忠により築城された。
天正十年(1582年)織田信長配下の武将・滝川一益によって攻められ落城したと伝えられる。
角馬出状の虎口空間などは、初期の築城方法とは異なり、落城後に改築が行われたことを示していて、天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの際、東海方面に移動する羽柴秀吉の宿所として整備されたのではないかと考えられている。
城主土山氏の末裔は、徳川時代になって土山宿の本陣職を命じられ、その家系は現在まで連綿と続いている。『現地説明板』より。