深堀陣屋 (ふかほりじんや)
所在地 長崎県長崎市深堀町5丁目291 2019.12.11
深堀陣屋 (ふかほりじんや)
所在地 長崎県長崎市深堀町5丁目291 2019.12.11
深堀純心幼稚園・石碑・説明板
説明板
菩提寺本堂
深堀鍋島家累代の墓地(右側)
深堀鍋島家累代の墓地(左側)
深堀陣屋跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 深堀純心幼稚園一帯が陣屋(屋敷)と云われ、遺構は消滅している。南南東約1.5kmに深堀氏の詰城・俵石城がある。
【案内】 深堀純心幼稚園(表記番地)の道の脇に石碑、説明板が建てられている[マップコード443 638 686*46]。
南方の菩提寺(深堀町5丁目417)に深堀鍋島家の墓所がある(地図)。
同寺にはまた、元禄十三年(1700年)に起きた討ち入りで自刃した義士の墓がある。
【歴史】 深堀能仲が承久の乱(1221年)の功により、建長七年(1255年)地頭として八浦荘へ下向し当地を治めた。深堀氏の本姓は三浦氏で、上総国深堀(千葉県いすみ市)の出身である。
深堀陣屋は江戸時代の陣屋と違って、深堀領主の居城の事で、通称は御屋敷と呼ばれていた。現在地は、囲馬場のあった所である。
戦国時代、深堀氏は諫早城主・西郷氏より3男純賢を養子に迎え、西郷氏とともに大村氏・長崎氏と戦った。
天正十二年(1584年)龍造寺隆信が戦死した後、鍋島直茂が龍造寺家の実権を握ったが、深堀純賢は直茂とともに朝鮮の役にも出兵し、後に鍋島姓を賜わり、深堀鍋島氏の祖となった。
江戸時代には6千石の家禄で佐賀鍋島藩の家老となり、明治維新を迎えた。