引田城 (ひけたじょう) (国の史跡)
所在地 香川県東かがわ市引田 2014.5.17
引田城 (ひけたじょう) (国の史跡)
所在地 香川県東かがわ市引田 2014.5.17
登城ルート(緑は東の郭)
狼煙台跡
西の郭(本丸)・石垣
南の郭(本丸)
天守台にある魚の神
南の郭(本丸)の 石垣
引田城 東の郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高75m】
【案内・感想】 引田港の最北にある水産会社の反対側に駐車場があり、城跡碑と説明板が建てられている[マップコード56 814 422*05](地図)。
東に登ってゆくと、「狼煙台跡」がある(地図)。随所から引田港はじめ瀬戸内海の絶景が展望できる。
更に登ると方形に石垣が残り展望台の建物跡のある「西の郭(本丸) 」に着く。北に躑躅の咲く遊歩道をゆくと「二の郭」であり、東に「東の郭」がある。その先が引田灯台である。
戻って西の郭より南東に行くと、標高82m比高75mの城山頂上に位置する本丸に当たる「南の郭」で、祠「魚の神」付近に天守台があり、その南東に石垣が残っている。
尾根伝いにコの字型に南東方向に展開し、城域は東西約250m、南北約500mを占める。
令和二年(2020年)3月10日、国の史跡に指定された。
【歴史】 城の起源は遠く、天智天皇六年(667年)十一月屋嶋城築城のとき、安倍比羅夫率いる引田氏によって築城されたと伝わり、又、屋嶋城との連絡のための「狼煙台」として造られたのが始まりとも云われている。
室町時代末期 寒川氏に属する四宮右近の居城になった。 元亀元年(1570年)三好氏に攻められ寒川氏は城を引き渡した。
天正十一年(1583年)仙谷秀久が入城した。翌年 秀久は長宗我部軍に引田表で敗れるが、羽柴秀吉の四国平定後に再び秀久が入城した。
天正十五年(1587年)生駒親正が讃岐国17万6千石を得て入城するが、同年引田城が讃岐国の東に偏っていたので、聖通寺城に移った。
慶長二十年(1515年)閏六月十三日の一国一城令で廃城と決まるが、その後、城がいつ取り壊されたかは不明で、長らく忘れられた存在だった。しかし近年、文化財として調査・保存の機運が高まっている。