下倉城 (したぐらじょう)
最寄地 岡山県総社市下倉1558 2021.12.9
下倉城 (したぐらじょう)
最寄地 岡山県総社市下倉1558 2021.12.9
登城ルート
登り口
尾根手前の道
南の2重堀切
主郭
北東1番目の堀切
振り返った北東側の2重堀切
下倉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 総社市下倉の高梁川に向けて南から伸びた標高183mの山頂に築かれている。登り口は薮だがそのほかは視界が開け、主郭と前後の腰郭は明瞭である。
また南側の2重堀切は浅くなっているが、北東の2重堀切は深く見応えがある。
【案内】 総社市下倉の表記番地南の県道54号線が広くなり路肩に駐車できる[マップコード111 769 085*83](地図)。
民家とガレージのような建物の間から幅1mの舗装道が西に延び、舗装道の延長線上に薮の切れ目が見える(地図)。
笹薮をかき分けて5mほど進むと開け、幅1mのしっかりした山道が尾根まで続いている。
尾根は開け北に歩くと浅い堀切と2重の堀切が見られる。
ロープを伝って登ると、南側の腰郭、主郭、東側の腰郭と並び東側に2重堀切がよく残っている。
【歴史】 天正年中(1573~92年)の城主は筒井順斎といわれる。
天正二年(1574年)から翌年にかけて起きた備中兵乱の折、三村方に属し毛利氏に攻められ落城したといわれる。