岩倉城 (いわくらじょう) (隅田城)
最寄地 和歌山県橋本市隅田町垂井478 2018.10.20
岩倉城 (いわくらじょう) (隅田城)
最寄地 和歌山県橋本市隅田町垂井478 2018.10.20
登城ルート(緑線は車道)
民家手前を左へ
小屋の先を右へ
東側堀切
南側の横堀
城址碑・主郭
土塁・西側堀切(奥に降り口)
岩倉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 橋本市隅田町垂井の標高約166mの尾根にある単郭の城跡で、場所が分かりにくいが、横堀、堀切、土塁などよく残っている。
【案内】 京奈和自動車道「橋本東IC」より西へ県道104号線に入り、北に約250m行くと、民家(表記番地)への入口がある[マップコード36 002 056*51](地図)。
民家の見える手前を左に入り、小屋先を右へ行き、民家敷地の外れから、左の尾根に登ることが出来る。
主郭の周囲に浅い横堀があり、西側に深い堀切、土塁が残っている。
主郭には「岩倉城趾」「新傳三郎俱氏之碑」の石碑が建てられている。
西へ尾根を辿ると、視界が開け崖を降り草地を横断すると工場南側の駐車場前に出た[マップコード36 002 102*60](地図)(真東に城跡、尾根を削り盛り上がった左側から降る)。こちらからは、南の紀ノ光台南公園の駐車場が利用できる。
【歴史】 築城年代は定かではないが、霜山城と同じく隅田氏の一族によって築かれたと云われる。
永正十八年(1521年)隅田氏と高野山衆徒によって岩倉城を中心に争っていたことから、これ以前に築かれていたと推定される。城主は隅田蔵人能房、隅田肥前守能継であったという。
新傳三郎俱氏之碑には、永禄三年(1560年)二月、松永弾正の兵火により隅田八幡宮並びに岩倉城焼亡の際、討死と記されている。