田原城 (たわらじょう)
最寄地 大阪府四條畷市上田原571 2018.7.11
田原城 (たわらじょう)
最寄地 大阪府四條畷市上田原571 2018.7.11
登城ルート
歴史散策道看板・右奥に橋
南の郭西の堀切
主郭南側空堀
腰郭
主郭・城址碑・住吉神社
田原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 四條畷市上田原の比高20mほどの台地先端に築かれ、竹林の中に空堀や堀切がよく残っている。
【案内】 月泉寺(表記番地)の南西約300m、府道701号線に面して「四條畷市歴史散策道」の看板があり、その西から川沿いの道があり、駐車できる[マップコード11 458 856*31](地図)。
その先の橋を渡ると「←田原城址」の標識がある。標識に従って行くと竹林の中に郭があり、堀切や空堀が残っている。
東の空堀を抜けて回り込むと、主郭があり住吉神社が祀られ、城址碑が建てられている。
【歴史】 築城者は田原庄の荘官であった田原対馬守(名は不明・某と記される)で、戦国時代には畿内の支配者となった三好長慶に属した。また、田原城より北に元の居館があったともいわれている。
田原城も永禄三年(1560年)以降は長慶の居城とされた飯盛山城の支城として機能したといわれる。
田原対馬守は一説には松永久秀の被官であったという。三好氏の没落とともに田原城も廃城とされた。
田原対馬守は代々付近に存在した千光寺を菩提寺としたと伝えられ、現在では近辺の月泉寺にその位牌が伝えられている。月泉寺の墓地には田原氏の墓碑とされる五輪塔も現存する。
最後の城主はキリシタンとなり洗礼名はレイマンと言った『フロイスの書簡(フロイス日本史)』。