香宗我部城 (こうそかべじょう) (香宗城) (市の史跡)
所在地 高知県香南市野市町土居1543−3 2018.3.8 2020.12.8
香宗我部城 (こうそかべじょう) (香宗城) (市の史跡)
所在地 高知県香南市野市町土居1543−3 2018.3.8 2020.12.8
土塁・ 香宗城址の碑
香宗城址之碑
土塁上の八幡神社
宝鏡寺跡
香宗我部親泰の墓
香宗我部城 土塁(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 香宗川右岸に築かれていた平城で、宅地となり城の北東にあった土塁の一部が残っている。東側の水田は少し低くなり堀跡と思われる。
【案内】 県道231号線に面した表記番地東に、八幡神社が祀られた土塁がわずかに残されており、ここに案内板や2基の城址碑が建てられている[マップコード73 207 571*76]。
香南市の指定史跡となっている。
南側約250mに、香宗我部親泰が天正十三年(1585年)菩提寺として建立した宝鏡寺跡があり、一隅に親泰の五輪塔墓が祀られている(地図)。
【歴史】 建久四年(1193年)源頼朝の命を受けた中原太郎秋家が土佐に下向し、香我美町宗我部(そがべ)、深淵の二郷の地頭職に着任した。
築城年代は定かではないが、中原太郎秋家によって築かれたと云われる。 秋家は楠目城山田氏の祖ともなった。
大永六年(1526年)香宗我部親秀が安芸備前守との戦いで敗れ、嫡男秀義が戦死すると弟秀通に継がせたが、長宗我部氏が台頭すると長宗我部国親の三男親泰を養子に迎えようと画策した。これを拒否した秀通は親秀に謀殺され、親秀は親泰を養子に迎えた。
永禄十二年(1569年)長宗我部氏が安芸氏を滅ぼすと、親泰は安芸城主に任じられた。
文禄元年(1592年)豊臣秀吉による朝鮮の役では嫡男親氏が出陣したが戦死し、代わって親泰が出征したものの長門国で病死した。このため親氏の子親和が幼少の身で家督を継いだ。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に付いた長宗我部盛親が改易となると、親和は肥前国唐津の寺沢氏に仕官した。