荒木城 (あらきじょう) (細工所城)
最寄地 兵庫県丹波篠山市細工所206 2020.5.4
荒木城 (あらきじょう) (細工所城)
最寄地 兵庫県丹波篠山市細工所206 2020.5.4
登城ルート(緑線は車道)
登り口
稲荷神社背後の堀切
主郭西側下段・細工所城跡の標識
主郭西側上段
主郭
南東の郭
南東2条目の堀切
荒木城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高170m】
【感想】 八上城の北東約7kmに位置する標高404mの山頂に築かれている。山頂の主郭を中心に、東側に1段、西側に2段の郭が残っている。
北西側に土橋付の堀切を挟んで細長い郭があり、一方南東尾根にも2条の堀切がよく残っている。
【案内】 国道173号線「丹波細工所」交差点のすぐ南の交差点を左折すると、幟や説明板が建てられている。その東道路脇に「細工所城」の石碑が建てられ、少し行ったカーブ手前が広く路肩に駐車できる[マップコード641 008 401*54]。
南に少し行った表記番地先に、登り口があり標識が建てられている(地図)。
尾根を登ると間もなく、小高い小郭に「梶丸稲荷神社」が建てられ、背後に堀切がある。
そこから尾根を登ってゆくと各所に標識が建てられ迷うことなく30m分ほどで、虎口に着く。
【歴史】 天文年間(1532~55年)荒木氏綱により築かれ、地名に因んで細工所城(さいくじょじょう)とも呼ばれている。
氏綱は多紀郡一帯を支配していた八上城主波多野氏の家臣であった。荒木鬼として恐れられていた武将・氏綱は明智光秀の丹波攻めの際、これを撃退したと云われる。
しかし、天正五年(1577年)に始まった明智光秀の2度目の丹波攻めの際、八上城を守る東の城として、氏綱は荒木城で明智軍を迎え撃ったが、激戦の末落城し、光秀に降伏した。
その後、明智軍は八上城を包囲し、1年以上の戦いの末、天正七年(1579年)落城させ、波多野氏は滅亡した。
波多野氏の滅亡後、荒木氏綱は光秀にその武勇を買われ、家臣になるよう請われたが、病身を理由に断ったという。しかし、氏綱の子らは光秀に仕え、本能寺の変や山崎合戦にも参加したと云われている。