東川別役城 (ひがしがわべっちゃくじょう) (市の史跡)
最寄地 高知県香南市香我美町別役486 2018.3.8
東川別役城 (ひがしがわべっちゃくじょう) (市の史跡)
最寄地 高知県香南市香我美町別役486 2018.3.8
登城ルート
東側鳥居・堀切
東側土塁
竃戸神社
南西下段の郭・別役氏の墓
東川別役城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 標高213mの尾根先端部に築かれ、現在は竃戸神社が建てられている。浅い横堀や堀切跡が見られるものの特に目立った遺構は無く、拝殿裏に土塁が残る。南西下段の郭に別役氏子孫の墓がある。
【案内】 県道221号線の表記番地先に竈戸神社鳥居がありそこから登ってゆけるが、さらに鋭角に曲がって600mほど行った東側のカーブミラー横に説明板が建てられている[335 668 306*44](地図)。どちらも駐車スペースは少ない。
西に尾根道を行くと間もなく浅い堀切があり、主郭切岸が見える。主郭には竈戸神社が建てられ、土塁が残っている。その前に朽ちた城址標柱が立て掛けてある。
昭和五十三年(1978年)4月1日、香我美町(現香南市)の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は定かではないが別役七左衛門重忠によって築かれたと云われる。別役氏は在原氏の末裔という。
重忠の後は子の七郎兵衛勝久が継いだが、勝久は槙山小松氏の養子となり、三郎左衛門が継いだ。
しかし、天正十四年(1586年)十二月、三郎左衛門は豊臣秀吉の九州征伐で、豊後国戸次川合戦で討死し、三吉郎義重が家督を継いだ。
慶長五年(1600年)長宗我部盛親が改易となった後は、帰農したという。