若江城 (わかえじょう)
所在地 大阪府東大阪市若江北町3丁目3−21 2018.7.11
若江城 (わかえじょう)
所在地 大阪府東大阪市若江北町3丁目3−21 2018.7.11
説明板
白蔵大善神・城跡碑
白蔵大善神・城跡碑
美女堂氏遺愛碑
若江城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 発掘調査の結果、市立若江公民分館を中心に2重の堀を巡らせていたという。市街化で遺構は消滅している。
【案内】 府道24号線に面した市立若江公民分館(表記番地)の東側に説明板が建てられ、交差点向いに城址碑が建てられている[マップコード1 267 144*86]。
【美女堂氏遺愛碑】 摂津源氏として活躍した源満仲が、4男美女丸のために、若江北町にある美女山薬師寺を建立し、子孫は美女堂(びんどう)と名乗ったという『現地説明板』。
【歴史】 南北朝時代、室町幕府により河内国守護に任じられた畠山基国が、永徳二年(1382年)北朝方の拠点として築いた。
基国の後、満家、持国に継がれ、この後政長と義就の義兄弟の家督争いは、応仁の乱へと発展し、やがて支配は細川氏から三好氏へ移った。
永禄十一年(1568年)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、畠山高政を高屋城主とした。
城は、石山本願寺攻めの拠点として使われたが、和議が成立し役割を終え廃城となった。