熊野城 (くまのじょう) (尼子十旗)
最寄地 島根県松江市八雲町熊野1715 2018.5.10
熊野城 (くまのじょう) (尼子十旗)
最寄地 島根県松江市八雲町熊野1715 2018.5.10
登城ルート(緑線は車道)
登り口・標柱
堀切
八幡成
主郭(北側)
井戸跡から振り返った段郭
熊野城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 松江市八雲町熊野の標高281mの要害山に築かれ、頂上に主郭を置き、西に腰郭、南に5段ほどの郭が残っている。
説明板や標柱、道標は新しく最近建てられたようで、遊歩道も倒竹が片付けられ木道など設置されていた。地元住民による保存活動にお礼を言いたい。
【案内】 県道53号線の表記番地東に公園があり、その前に案内板と登城口標柱が建てられている。
そこより西に約350m行った右手に「熊野城跡登山口」の標柱が建てられている[マップコード163 082 312*58](地図)。その反対側に駐車できる。
登ってゆくと、左への鉄塔管理道があるがそちらに行かず直進する。その先に「頂上まで600m」の道標が建てられている。
谷を過ぎ尾根の堀切があり、右に転進し登ってゆく(200m毎に道標あり)。上り詰めると、八幡神社跡地の「八幡成」と呼ばれる腰郭がある。その東の要害山頂上に主郭があり、樹木は伐られ、説明板が建てられている。東西約25m南北約35mの広さがある。
南に一段ずつ下がって、階段状に郭が並んでいる。中段に阿弥陀堂があったとされる「阿弥陀が成」の郭があり、最下段に井戸跡がある。
【歴史】 戦国時代、月山富田城を防衛する尼子十旗の1つである。天文三年(1534年)熊野兵庫介久忠が阿弥陀堂を寄進した。
永禄六年(1563年)九月、白鹿城を包囲していた毛利元就は、後方から牽制する熊野久忠を討つため、熊野城を攻撃したが撃退された。
永禄九年(1566年)城主熊野氏はよく尼子氏を支えたが、尼子氏は毛利氏に敗れ開城し、義久は捕らえられ、安芸国へ送致された。
元亀元年(1570年)、布部山の戦いで、牛尾城の落城を見て、尼子再興軍方の熊野久忠は開城した。代わって富田城の城督だった天野隆重が入城した。