津山城 (つやまじょう) (鶴山城) (国の史跡・日本100名城67)(日本さくら名所100選)
最寄地 岡山県津山市山下68 2012.5.8 2014.5.2
津山城 (つやまじょう) (鶴山城) (国の史跡・日本100名城67)(日本さくら名所100選)
最寄地 岡山県津山市山下68 2012.5.8 2014.5.2
駐車場側石垣
鶴山館
復元備中櫓・石垣
復元備中櫓
本丸・天守台
二の丸四脚門(中山神社神門)
津山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 津山文化センター(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード153 525 265*78] 。
入場券(大人300円)売り場を登ると鶴山館のある三の丸であり、「表中門」もしくは「裏下門」石段を登ると二の丸で紅葉の散歩道になっている。
更に石段を登ると本丸跡で「常用の井戸」や「大井戸跡」があり南西隅に平成十七年に復元された「備中櫓」がある。
その北に天守台が残り、石垣が良好に保存されている。北東隅に小天守台(粟積櫓跡)がありそれに続く東側の石塁の中ほどに鐘撞堂が残っている。
東に吉井川の支流宮川が流れ丘陵の天然の断崖を利用している。城郭の形式は梯郭式平山城で、日本三大平山城(姫路城、松山城、津山城)のひとつで、 津山盆地の中央部に位置する。西部を流れる藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。天守は破風を持たない四重五階の独立型層塔形式であった。
二の丸四脚門は中山神社神門(地図:津山市一宮695)に移築されている。
昭和三十八年(1963年)9月28日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(67番)に選定された。城跡は「鶴山公園」として約千本の桜が植えられ、日本さくら名所100選に選ばれている。
【歴史】 嘉吉年間(1441~44年)美作国の守護大名であった山名教清(のりきよ)が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初である。しかし応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城となった。
慶長八年(1603年)信濃国海津城より森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩した。同年、現在見られる津山城の建設に着手し、また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。
元和二年(1616年)十三年の歳月をかけ、五重の天守を戴き櫓や城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ大規模な近世城郭が完成した。
元禄十年(1697年)森氏が断絶し、安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなった。
元禄十一年(1698年)松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封した。文化六年(1809年)火災により本丸御殿を焼失した。明治四年(1871年)の廃藩置県まで松平氏が城主となった。
明治六年(1873年)廃城令により大蔵省管理となり競売され、明治七年 ~ 明治八年(1874~75年)天守・櫓などの建物が悉く破却された。